月別ログ_2007年06月分
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日本ひきこもり協会(NHK)で (2007/06/25)


マイルス・デイヴィスの特集やっとった。

マイルスはイケメン
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雨が降った前の日 (2007/06/24)
昨日は朝に海上入ったメールで起きたのでなんとなく外出してきた。

ほんで楽器屋さんでいろいろ試奏してきた。

そこの店員さんがなかなか話が分かる人で、やたらと30万とか高額なギターを試奏だけしてみろと言うのでしてみた。

テイラーとギルドの二本。

テイラーはものすごい安定しててネックの形がV型のせいなのか非常に弾きやすかった。

鳴りに関してはまあエレアコなので生音はボチボチ。

とにかく弦がエリクサーっていうのもあって弾きやすさはピカイチだった気がする。

いかんせん綺麗すぎたのでアレだが。

ギルドはまた弦が違うんだけど、全部単板でもしかしたら木はメイプルかもしれん、まあたぶんスプルースだけど。

こっちははじめに弾いたテイラーに比べると若干土臭い音。

僕は音はこっちの方が若干好みやったけど見た目がなんとなく嫌だった。

時期に12弦か普通のアコギかもしかしたらリゾネーターにするかもしれんけど何かしら買うのでまあいろいろ試奏しつつ決めようかと思う。


ちなみに今は前も覚えようと思って断念したんだけど、ウェス・モンゴメリーのエアジンっていう曲を練習してる。

昔覚えようとした理由は忘れたけど今回は指のストレッチとピッキングの練習という名目で。



↑これはまあ違う曲で「フルハウス」っていうモンゴメリーの代表曲なんだけど、これを見てもらえばわかるように親指のみでピッキングしてる(親指の形がおかしい)。

エアジンっていう曲はアップテンポなんだけどそれも全部親指。

まあ僕はあくまで曲覚えるとかじゃないのでだいたいは親指・人差し指なんだけども。

エアジンの曲構成は

イントロ → ギター単音ソロ → ギターオクターブソロ → ピアノソロ → ベースソロ → ギターコードソロとドラムソロのかけあい → アウトロ

っていう感じでようやくオクターブソロに手を出し始めた。

でも単音ソロはまだ指が追いつかん。

がんばる。




ジャズギターなんて所詮ギター弾いてるやつくらいしかまともに聴きゃしねーんだよ!
うぇルかむ とゥ- ザ ムラかミ わールど (2007/06/22)
リュー・ムラカミとフランスでは大評判らしい村上龍の「共生虫」を読み終わった。

たしか前に読んだ「愛と幻想のファシズム」(僕は絶賛)から一年くらい経つね。

村上龍の作品ってものすごい好きなんだけど(村上龍自身も好き)、読んでる間はものすごい疲れる。

疲れるけど読み終えた後のなんとなく感じる充実感がすごい好き。

でも疲れるのでなかなかはじめは読む気にならん。

基本的に僕は中身アッパッパーのハッピーな、それこそ子どもらが旅に出て死体を見つけるどころか何にも見つからなくて、

雨降ってきたから帰ろう

みたいなくだらん感じの読み物の方が性には合ってる気がする。


「共生虫」は経済・政治的な話でなく「コインロッカーベイビーズ」みたいな感じの狂人たちがやたら出てきて主人公が人を殺しまくるマッドな感じ。

ほんでもそれぞれの作品はまあ共通した部分や違う部分もあって、「共生虫」ではインターネット社会の混沌とした部分を映しながら、「共生虫」を体内に宿した主人公(下手な厨房漫画を想像したらあかんよ)が狂いながらも自問自答し答えを見つけていく話・・・・かな。

どの作家でもそうなんだろうけど自分の思想というかなんというかわからんがそういうものを作品の中に織り込んである。

村上龍の良いなぁと思うところはそういうところで、理解しがたい行動や考えをする狂人が何かに触れ自問自答を繰り返すうちにたどり着くのが「村上龍的思想」みたいな感じの話が多いんじゃないかと思う。

この思想がやたら的を得たというか真理をついた感じがして狂った人間と対称的な新鮮さがあってなんというか

言葉にできません、すいません

無理。

まあ「共生虫」は比較的短い作品やったと思う(文字の大きさ途中で変わったりするし)でまあ読んでみるのもいいんじゃない?



今は福井晴敏の「6ステイン」っていうのを読み始めた。

「亡国のイージス」の原作者らしいんだけど、正直そんなことはどうでも良くて、作者の紹介に「ターンエーガンダム」って書いてあったのと、「シックスステイン(六つの染み)」っていう名前が妙に気に入ったので買っただけ。

正直サクッと読み終えて京極夏彦の「姑獲鳥(うぶめ)の夏」を読みたい。

数少ない友人が京極夏彦ファンで質問したら薦められたんだが、最近水木しげるの「墓場の鬼太郎」を買って読んで妖怪が気に入ってきたので楽しみすぎる。

まあ僕あのビジュアル系くさい顔した京極夏彦自身は生理的に受け付けんけどね。
嫌い (2007/06/21)
好き (2007/06/21)
若本最強ボイス (2007/06/20)


ゆらゆらていこくでかんがえちゅう (2007/06/18)



ひとりに~~~~みぎてまかせって~~~~~
ベランダでの物語 (2007/06/17)
最近暑いね。

もう名古屋にいた頃なんて確実にエアコン付けてるくらい暑いね。

でも、今年は出来る限りエアコンを使わない生活をしてみようとふと思い立ち、家の中で、できる限り風通しが良いところを探した。

ほんで今日は昼の大半をベランダで過ごしてみた。

僕が今暮らしている部屋のベランダは非常に狭いんだけれど、陽がそれほどあたらなく、そんでもって風がなかなか心地良いので良い感じなのでまあ地面がイボイボしてて軽く痛いの我慢してずっといた。

しかしながら、山の麓にある僕の家は当然のことながら自然が多くありまして僕のベランダも自然の物語の一部となっている。

ある時は、蜘蛛VS虫。

走光性のある虫たちは、当然夜遅くまで明かりがついてる僕の部屋に集まり、それを狙う蜘蛛が必死で巣を僕のベランダに作る。

それを僕が必死で壊す。

またある時は、蜂。

どうやら僕の家の近くの竹藪か、それとも山の中か知らないですけどスズメバチが巣を持ってるようで、タバコ吸ってると

「ぶーーーん」

と耳元にスズメバチの羽音が、びっくりして動くと

「残像だ!」

と言わんばかりのスピードでどっか行くんですが、そのスズメバチが巣を作ろうとしたり。

でもスズメバチ、巣を作るときはほんと隙だらけなので、確実にしとめることができる。

あとは、イモリの通り道になってるらしく、よくイモリを見かける。

あと、この前、前日は何にもなかったのに、いきなりベランダの隅っこに謎の物体があった。

近くで見てみるとどうやら大量の草とか枝の塊がちょうどエアコンの温風を外に出すためのノズルのとこに巧い具合に挟まってる。

ほんで部屋に入って観察してるやっぱりスズメの巣だったらしく、二羽のスズメがほんと円満な感じで仲良くやってくるんですよ。

夜中は何にもなかったのに朝起きたらそんなもんできてるのはさすがに驚きでした。

ちなみにその巣は、決してスズメのカップルに嫉妬した訳じゃないけど破壊しといた(ダニが沸くので)。

そういや、巣で思い出したけどうちの駐車スペースに昔ツバメが作った巣があって、一度猫の被害を受けてから使われてなかったけど今日ツバメがやってきてやたらとなんかやっとった。

いっそのこと巣箱でも設置してやりたいなぁとふと思った。


万物とボブ・ディランの関係 (2007/06/17)
爆笑問題の「日本史概論」と伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」を読み終えた。

爆笑問題の方は正直そんなおもしろくなかった。

伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」はかなり良い。

これマジオヌヌヌ。

映画「アヒルと鴨のコインロッカー」

と映画でももうすぐ公開される。

しかしながら!!!!

映画を観ればいいじゃんと思っている方、これは是非とも原作を読んで頂きたい。

同じ伊坂幸太郎の伏線とオシャレさ(文章的に)をひたすら追求した作品「陽気なギャング」シリーズ(と言えば良いのか?)はほんとにその伏線とオシャレさを追求した感じなので映画だけ観ても良いけど、この作品はちょっと違う。

どうにもこうにも僕には書き物としてのおもしろさがあるんじゃないかと思う。

ストーリーは「現在」と「2年前」っていうのを交互に繰り返していくんだけど、その文章遊び(特に各章のはじめと終わり)と小さな伏線を貼っていて読み物としてかなりおもしろいと僕は勝手に思ってる。

おもしろかったんで夜遅くまでドキドキしながら読んでいて、次の日危うく仕事に遅刻しそうになったくらい(ゼェゼェ言いながら席に着いたときに開始時間になった、ちなみに通勤時間は15分以内)おもしろかった。

映像化したら正直ストーリーしか楽しめないからおもしろさ半減ところか

「ああ、まあ・・・良かった・・・よね?」

くらいしか思わないような気がする。

だから映画は先に観んほうがええ。

この作品は「アヒルと鴨」っていう部分とボブ・ディランがかなりキーポイントで、



この曲名がよく出てくる。


アヒルと鴨についてはネタばれするので書かないけどとりあえずこの本はおすすめ。
MOTHER EARTHって有名でない (2007/06/14)
アシッドジャズのバンド(アシッドジャズの範囲がよくわからん、そこが軽くアレ)をふと聴いてみたら意外に良かった。

佐藤タイジばりの子気味良いカッティングといい、ほんと佐藤タイジがギターならもっと好きになると思う。
僕はあんまり好きじゃない。顔とか動きとかすべて (2007/06/13)
寺尾聡のマネしてやるのも良いんだぜ (2007/06/12)
ウェス・モンゴメリー (2007/06/11)
のエアジンが難しいんだよ!
えどがーあらんぽー (2007/06/10)
今日なんか「開放倉庫」(名前ちゃうかも)っていうとこに行ってきた。

アウトレットショップみたいな建物なんだけど、なんかエスニックな像がやたらと並んでて、妙に怪しさを醸し出していた。

この「開放倉庫」、中古ショップなんだけど、とにかく何でも(何でもではないけど)買い取って売る店で、服からオモチャからアクセサリーからホビー系、ゲームにCDにDVDにエロDVDと品揃えが豊富。

中でもオモチャ(プラモとか人形)とかがめちゃめちゃあってガチャガチャから本格的な人形まで数多く揃ってて脳内物質がドクドク出た。

結局友達が次元のカリオストロのちっこいフィギュアを買った。

僕はコブラのなんかが欲しかったんだけど良いのが見つからなかったので辞めた。


何ヶ月かの周期で行ったら品揃えとか変わってておもしろいかもしれないのでまた行ってみたい。




江戸川乱歩の「夢遊病者の死」を読み終わった。

角川が新しく(言うほど新しくはないが)出した江戸川乱歩のシリーズで短編集。

だいぶ前に買って途中で放置してたんだけどようやく読み終えた。

結構邪悪な話が多くておもしろかった。


あとルパンのなんか解説本みたいなのも昔買ったやつなんだけど読み終えた。

アニメ・劇場版・実写版とかまぜこぜで解説していたので旧作アニメのつじつまと合わなかったりまあゴッチャゴチャ。

元々原作が超がつくほどハードボイルド的な感じだったので今のコミカルな時とあんま同じ作品と考えちゃあかんなぁと思った(設定にしろ何にしろ)。


あと伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」っていう新しく出たっぽいやつとみうらじゅんの「とんまつりJAPAN」ってやつと久しぶりに村上龍で「共生虫」っていうのを買った。

オレは無罪だ!!!! (2007/06/09)
それでも地球は回っている!

イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは宗教と哲学と科学が融合していた時代、自身の異端審問で地動説を無理矢理捨てさせられこの言葉を言ったのは有名です。

先人たちはあらゆる否定を受けながら科学を進歩させていったという逸話の一つであり、私たちもこれを見習い人類の未来を担って行かなくてはならないと思っております。



話が変わりますが、僕が中学1年の時、僕と同じ小学校の子がいてその子、小学校の一時期、

「ち○毛ち○毛ミューン」

って言いながら妙な動きをするっていう小学生にとっては核弾頭級の一発ギャグを持ってたんですよ。

最近の小学生のことは知りませんが、当時の小学生なんて箸が落ちても笑う年頃どころか

ち○こ

っていう魔法の言葉を唱えただけで大爆笑するような感じだったので、この

「ち○毛ち○毛ミューン」

はもう腹がよじれるほど笑いましたよ。

だからこそ、僕は尊敬と畏怖を込めてその子を見、そしてそのギャグを一生忘れまいと思っていました。

その子とはあまり話すこともなかったのだけど、中学になって部活が一緒だったこともあり、なんかの折りに話す機会がありました。

正直なところ別にそのギャグ以外にその子と話すこともなかったので、ふとそれを思い出して

「小学校の時、ち○毛ち○毛ミューンって言ってたよね?」

と振ってみました。

その途端、その子はその場に崩れおち泣き出しました。

いや~よく考えてみると、思春期の女の子にそんな黒歴史なんて言ったひにゃ、どれだけ恥ずかしくて傷つくか、当時の僕はそれこそち○毛が生えそろったくらいの純粋無垢な感じですからまさに

残酷な天使のテーゼ

っていう感じだったなぁと思います。



当然泣き出した子の周りにいた子たちは集合してきまして、これまた当然の用に、古い慣習である

「女が泣いたら男が悪い」

という恐怖のルールに則って数の暴力が始まりましたよ。

「わたしそんなこと言ってない!!!」

「ちょっと○○くん、そんなこと言うのひどいんじゃない?あやまりなさい」

「そうよそうよ、あやまりなさいよ」

「さいてー!!」

「いや・・・・あの・・・・」

「何?この後に及んで何か言いたいことあるわけ??」

とまるで与党の法案を無理矢理数でどうにかする感じの用に僕に非があることを認めさせようとしてきたんですよ。

僕も泣かしたという罪悪感もなきにしもあらずなので

「ごめんなさい」

と謝りましたよ。

こういう時、女の子の集団って残酷なもんで、泣きやむまで攻め続け、謝らせ続けさせられるんですよ。

結局、僕は「最低」という汚名を背負い、彼女は被害者、女の子たちは正義っていうことで事なきを得ましたが、その後に僕は

「それでもあの子は言っていた」

と心の中で思いました。

地動説は間違っていましたと言わされたガリレオ・ガリレイも、この時の僕と同じ気持ちだったのかなぁと思います。

地動説は今や「科学」の常識としてガリレオ自身も「科学の父」として今日に伝わっています。

でも「女が泣いたら男が悪い」のは変わってないし、僕も「○○の父」と言われていません。





その後そのチ○毛の件の女の子は後に

「血の一時間」

と呼ばれる事件を起こす。


美術の時間の友達に

「見て見てー」

といいながらカッターナイフで自分の手首を切る振りをしていた彼女は、調子に乗ってエレクトしちゃったみたいでカッターナイフを手首に付けながら

スーッスーーーッ

とゆっくり動かし出したそうだ。

まあただのバカなんだけど、その時キレたナイフ「カッターナイフ」がさっくりと彼女の手首を切り裂いて血がぴゅーっと。

血ぃぃぃーーーーーー血ぃっぃぃーーーーー

と彼女は絶叫したそうだ。
今日は朝から曇り空 (2007/06/08)
携帯のアラームに起こされ、急いで準備をして、食べたくない朝飯をお茶で流し込んだ。

ネクタイを締めて車に乗り込む。

慣れた道を今日見た夢は何だったっけなぁなんてことを考えながら走る。

赤信号で止まり、ふと横を向くと古くさい自転車屋。

創業何十年の古い自転車屋が何故潰れないのかっていうのを何かの番組で観た。

もう忘れてしまったけれど、まあ修理費で稼いでるんじゃないかなぁと思う。

その自転車屋の前に自転車を止めて、ウィンドウ越しに自転車を見ている爺さんがいた。

爺さんの自転車は古びたママチャリ。

ウィンドウ越しの自転車も同じくらい古そうなママチャリ。

爺さんは時々体を動かしながら自転車を凝視している。

渋滞で車は思うように動かなかった。

爺さんの側に車が近づいた時に気がついた。

爺さんの見ているものは自転車ではない。

爺さんは角度を変え、その都度制止し、それを見ている。

そう、爺さんが見ていたのはガラスに映った自分の姿だった。

ナルシスト爺さん


すぐ側のコンビニによって昼飯買い終わって車で出た時ににもガラスの前にいた。


爺さん、自分が大好き
とある男の末路 (2007/06/07)
「まさか・・・こんなことになるなんて」

男は悲しそうな顔をしながら目の前の男に言いました。

男は学生時代、わかりやすいほど典型的なワルでした。

喧嘩、恐喝、暴走行為、怖いものなどありませんでした。

時には一人を標的にして、悪質な嫌がらせを行いました。

クラスの人間の中で彼を恐れないものなど誰一人いなかったので、誰も被害者を助けようとせず、むしろ一緒になって嫌がらせを行っていました。

そのうち、集団で嫌がらせを受けた子は学校に来ませんでした。

このように男は、大変なワルでした。

見た目も典型的なワルでした。

ブリーチだってパーマだってこれでもかというほどしました。

そのうち髪の毛と呼ばれるものは

「これ本当に髪の毛?」

と呼ばれるものになっていました。

そして10年後、男は悲しそうな顔をして言いました。

「まさか・・・こんなことになるなんて」

彼の目の前には頭がハゲた悲しそうな顔が映っていました。




イジメると後悔する

-公共広告機構-

エ~シ~~~~




こんなんどうですか?公共広告機構さん。

新聞記者上がりと自衛隊上がり (2007/06/03)
働きはじめた四月からというもの本なんか読まなくなるんだろうと思ったんだけれど、寝る前1時間くらいは本を読んで、眠くなったら寝るという習慣がついた。

こうなると、意外に早いペースで本が読み終わるみたいで、一気に読むより毎日の積み重ねで読む方が全体的に好ましいんじゃないかなぁと思った。

ここ最近、ブログもほとんど書かなくなったのもあってか読み終わった本について書くことがなかったので、久しぶりに書いてみようと思う、暇やし。

「佐賀のがばいばあちゃん」島田洋七

これかなり有名らしいね、僕は知らなかったけど。

オトンとオカンがこの本の話し始めて家にあることが分かったから借りて読んだんだけど。

島田洋七はご存じB&B。

結構おもしろかった。

島田洋七と同じ世代の人間(僕のオトン)とかにとっては懐かしいという意味も含め僕とは違ったような視点で読めてるんじゃないかと思う。

戦後まもなく、日本が復興していくその最初のころ、「七丁目の夕日」に似た感覚で日本人としてなんか懐かしい古めかしさを持った実話。

まあ大概の人は読んだことあるやろうで詳しくは言わんけど、この「がばい(すごい)ばあちゃん」がなかなかの哲人で巻末にある語録が良い。

そんでもってこういう話って最終的に別れ(死別問わず)がつきものなんだけど、この最後がなかなか泣ける。

リリーフランキーの「東京タワー」も泣けたけど、こっちはよりドラマチックというか別の次元で泣ける。

ものすごい文章少なくて読みやすいので暇な時にはうってつけだと思う、これ以外にもシリーズで出てるし。


「毒笑小説」東野圭吾

前に「怪笑小説」を読んだことは書いたんだけど、このシリーズの短編集。

「怪笑小説」のときもそうやったけど、なんとなく星新一を思わせるような無事では済まない展開と毒気。

ちなみに僕は内容は「毒笑小説」の方が好きかもしれん、まあ読んだ時期が最近やでかもしれんけど。

ただ、東野圭吾好きっていうのには若干抵抗があってやっぱりこの人は推理小説で有名になってるもんで、下手に好きっていうと

「どれ?」

って訪ねられた時に困る気がする。

まあそんな状況は0に近いくらい起こりえないんだけど、先々月くらいに同期の子としゃべっててそうなったので。


「陽気なギャングの日常と襲撃」伊藤幸太郎

これも前読んだ「陽気なギャングが地球を回す」シリーズ第二弾。

前作の1年くらい後の話らしい。

元々は、前の強盗団4人の一人一人の短編集にする予定だったらしいけど、やっぱり4人の強盗話を描きたいということで改編してこうなったらしい。

この作品の醍醐味はもう至る所にある伏線と、洒落が効いたスタイリッシュな文章だけだと思う。

もうほんと至る所に伏線があるので、一語一語読み落とせない。

ほんで読んでくと

「あ!ここはこうなるな!!」

って思うんだけど、

「やられた!!そうきたか!!見落としとった!!」

みたいな。

そんなおもしろさがある。


「竜馬がゆく」全8巻 司馬遼太郎

ようやく読み終わったっていう達成感がある。

何せ4月くらいから読み始めて、最近読み終わったばっかだから。

こんなけ長い長編は僕はまだ読んだこと無い。

坂本竜馬の生涯を描いた作品。

いざ明治維新の話を読むと、思い出して比較の対象になってしまうのが浅田次郎の「壬生義士伝」なんだけど、浅田次郎の「壬生義士伝」の描き方と司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の描き方はかなり違う。

もちろん、

浅田次郎の方は、新撰組・幕府側

司馬遼太郎は、志士側、勤王側

だから描いた対象自体がまあ真逆で違うのは当たり前なんだけど、そういう意味ではなくて、「歴史物語」という意味で。

それは司馬遼太郎が純粋な作家ではなく新聞記者から作家になったことから起因しているような気がする。

浅田次郎はそれに対応して言えば、もと自衛隊上がり(三島由紀夫の自殺がきっかけらしい)がまあ純粋に作家として生まれてる。

浅田次郎みたいな作家が歴史物を書くと、前にも言ったんだけど、

「事実と事実の間の空間を推理と想像で埋める」

感じ。

事実と筆者の考え、それが一つの物語を作ってる。

司馬遼太郎の方は(といっても「竜馬がゆく」しか読んでないけど)事実を徹底的に調べ上げて見聞し、ジャーナリストみたいな感じ。

文章の中にはもちろん筆者の考えも書かれてるんだけど

物語は物語、筆者の考えは筆者の考えと、別になってる感じ。

だから僕の表現では全く伝わらないだろうと思うけど

浅田次郎の「壬生義士伝」は「読み物」としておもしろい。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は「書き物」としておもしろい。

って感じ。

まあ意味わからんし、結局おもしろければなんでも良いんだけど。

内容についてはいろいろ書くつもりはないけど、とりあえず、僕は司馬遼太郎の「坂本竜馬」を信じたい。



こう偉そうに書けるのも一億総評論家のおかげですね。

関係ないけど、今日、「喧嘩商売」と「もやしもん」と水木しげるの「墓場鬼太郎1」と爆笑問題の「日本史原論」を買った。

爆笑問題はお笑い界では異端児扱いされてて、結構嫌いな人多いはずやけど僕は好き。
ハママツの夜6(鼻毛の後に) (2007/06/02)
伊勢から浜松への旅はあっけなく終わった。

浜松へ着いてからはまあ特には書くこともないんだけど(何回か行ってるから)、なんかそこで

オーラ測定

とかいうのをやった。

以前に高校の時の話でオーラが見えると言い張る奇特な方の話を書いたんだけど、オーラが見えると言い張る人って意外に多いんだね。

今日、ちょっと色々あって興味もない体育会系の熱血な場所に行かざるをえなかったんだけど、タバコ吸ってたら目の前にどう考えてもそっちの筋の人にしか見えない(実際は違う)人がどどーんとベンチに腰掛けていたんだけど。

まあ、ああいう人って僕は怖いから苦手なんだけど、妙に威圧的で偉そうな感じでしゃべる一言一言がメンチ切ってるというか恐喝めいてるんだけどオーラは見ることができない僕にとっては

「あっちいけ」

くらいにしか思えないんだけどオーラが見えるらしい人にとってはもうドピュっとオーラが出てるように見えたんだろうか?

「オーラとか見えない人間で良かった」

と思う僕も連れ合った人が測定してもらうのを見て興味本位で測定してもらった。


まあ内容はどうでも良い(悪徳商法のように良いことしか言われなかったので)んだけど、オーラの説明をする女の人がすごいにこやかな顔をされていたんだけど、残念ながら鼻毛がひょろっとしていたのが印象的だった。

男の人同士だと鼻毛出てたら

「鼻毛びょーんなっとるよ」

「ありがとうございました」

と紳士に応対しあえるし、いざとなったら、

「鼻毛出ててもこいつが困るだけやし良いか」

とお互いに思えるから済むんだけど、鼻毛ボコーの相手が女性だと話は別でそれが嫁入り前の娘であったらそれこそ言えないし言ってあげたいしとものすごいフラストレーションが溜まる。

中学の頃僕は何を血迷ったか

道着ってなんかかっこいい

と、小さい子が将来なりたい者に

「ウルトラマン」

「仮面ライダー」

「ガンダム」

的なことを挙げるノリで柔道部に入ったんですよ。

そんな不純な動機で入り、ましてやそれほど運動が得意でも好きでもないめんどくさがりやの男がやったこともないスポーツが続くわけもなく当然のように僕は幽霊部員になったんですよ。

それでもめんどくさいことに特に人気のないスポーツの性で人数あわせに幽霊部員の僕もかり出されるんですよ、レギュラーで(団体戦ね)。

それが自体をややこしくさせるんだけど、レギュラーで試合に出場してる人間が練習に来ないっていうのはどういうことかと、休みの理由にどんなけ人が殺されてるんだと。

まあ普通の人間なら当然思うようなことがありまして、僕は結構顧問の人にどやされていたり公衆の面前で教師から柔道の練習という名のリンチを喰らっていたんですよ。

男子部員の僕らの代の人間はレギュラー幽霊部員が多かったんで

「柔道部ではよくあること」

っていう感じでリンチ喰らおうが怒られようが和気藹々としとったんですけど、問題なのは女子部員で同じ代の女子部員の態度が年々変わってきましてだんだんと見下すようになってきたんですよ、僕たちレギュラー幽霊部員を。

「○○、おまえ練習こいよ!!」

「今度の練習、さぼんなよ、○○も連れてこいよ!!」

みたいな感じで言うんですよ、さっき書いたそっちの筋の人っぽい威圧的な容貌と態度を兼ね備えた人みたいに。

まあ若干むかついたんですけど、僕らに非があるわけですので寛容に応対しましたよ、でもその中の一人の女の子がいつも鼻毛出てるんですよ。

だんだんと言われることよりも鼻毛出てることが気になりまして

「なんで鼻毛出てるのにそこまで威圧的な態度がとれるんだろう」

と鼻毛中心にものごとを考えるようになりまして、

「鼻毛出てるよ」

って言えばこのモヤモヤはすっきりするんじゃないかなぁと思ったんですけど、言ったら言ったでその子傷つくじゃないですか。

「○○、おまえ練習こいよ!!!何やってんだよ!!」

「いや、落ち着けその前にその鼻毛を何とかしてくれ!」

っていったらその子泣くじゃないですか。

泣いたら男は悪者なんですよ。

だから当時はもうその子と会うたびに葛藤でフラストレーションが溜まった。

オーラの説明のお姉さんを見てそのことを思い出して、懐かしくなった。
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